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卑弥呼(ヒミコ)の長寿食

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古代人は大変長命だった

日本の歴史上の人物で、今でも人気のあるのが邪馬台(ヤマタイ)国の女王卑弥呼(ヒミコ)。今から1800年ほど前に生きていた女性ですが、たいへんに長生きだったようです。
古代中国の史書である『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』に、卑弥呼の死亡年が西暦の247年前後と記されています。

霊感の強い女性で、予言能力が高く、女王になったのは子供の頃で、没年から逆算すると、80歳前後まで生存していたのは間違いありません。ところが、邪馬台国の人たちは卑弥呼よりも長生きしているのです。前出書によると、「古代の日本人は長命で、100歳、あるいは8、90歳まで生きる」とおどろくべき記述があるのです。
多少はオーバーな表現かもしれませんが、食生活から推測しても、実際に長命者が多かったような気がします。

古代も「酒は百薬の長」だった

卑弥呼の政治力によって平和が続き、人々の生活も安定し、豊かだったのです。
生活者の安定にはまず年間を通しての主食の確保が欠かせません。当時の主食は主として米で、米には、生活の安定をもたらす力があります。味がよく、毎日食べても飽きない魅力があり、保存することもできました。春に蒔いたイネの種は、秋には実り、収穫できます。つまり、米は次の年の秋までの生活を安定させてくれたのです。
卑弥呼の時代には、水田面積も増えて収穫量も多くなり、酒も作られていました。前出書には「人性酒を好む(意味:人々は酒をよく嗜む)」とあり、これは米麹や酵母を加えて発酵させたにごり酒で、ちょっと甘酸っぱい、米のヨーグルトのような酒だったのではないでしょうか。

栄養バランスに優れた古代人の食生活

人々は海にもぐって、魚や貝類をとっていると記録されており、刺身的な「生食料理」も普及していたようです。
「国は温暖で、一年中生菜を食す」と記されているのです。「生菜」は生野菜ではなく、生物(なまもの)の主菜、つまりおかずで、魚の生料理で刺身と考えられます。卑弥呼の時代は狩猟で得た野生動物なども食しており、適量の動物性タンパク質を摂取したことも、長命につながったと言えます。このことからも、江戸時代以前では日本人がもっとも栄養バランス良く食べていた豊かな時代と言ってよいでしょう。

美味しい玄米の調理法も知っていた

大豆は縄文遺跡から出土していますから、味噌のルーツになるような大豆を発酵させた、古代調味料もあった筈。
主食は米で、玄米を炊飯していたとみられ、ビタミンやミネラル、抗酸化成分(オリザノール等)もしっかり摂れていました。玄米といっても、籾(もみ)付きの米を、臼と杵でつくわけですから、外側籾が取れると同時に玄米の糠(ぬか)の部分も多少除去されて、結果的には九分搗き位になり、土器で炊いても美味しく仕上がったでしょう
しかも、2〜3時間水につけ、十分吸水させて炊飯したと推測され、ふっくらと美味な玄米ご飯になったと思われます。玄米ご飯に、野菜や魚、味噌味の汁物がつき、刺身などの魚料理、漬け物もあり、まさに”古代長寿食”で、古代人長命の背景であり、卑弥呼も同じような食生活であったとみてよいでしょう。

  • 魏志倭人伝『三國史 魏志 卷三〇 東夷傳』
  • 作家名:陳 寿(ちん じゅ/ Chen, Shou) 生年:233 没年:297
  • 出版社:武英殿版本(中国)
  • 注)親本の正式タイトルは「三國志」で、その中の該当箇所「魏志卷三〇 東夷傳」を通称「魏志倭人伝」と言う

執筆者紹介

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食文化史研究家 永山 久夫
文化研究所、綜合長寿食研究所所長。西武文理大学講師。古代から明治時代までの食事復元研究の第一人者。長寿食や健脳食の研究者でもあり、長寿村の食生活を長年にわたり調査している。新聞の連載などの執筆活動他、テレビ・ラジオ出演、講演等で、古代食や長寿食、情報化時代の頭脳食のテーマを解りやすく解説し人気。著書『武将メシ』(宝島社)、『大江戸食べもの歳時記』 (新潮文庫)など多数。
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