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伊達政宗の天下とり食

もっと見るタグ: レシチン, 伊達政宗, 大豆, 日本食べ物語, 記憶力

記憶力と大豆の力

記憶力がよくなければ、戦国時代は生き残れません。合戦の仕方、敵の城の構造、対立する武将のデータ、家臣の名前などをしっかり覚えておき、必要になったときに即座にとり出すことのできる強い記憶力です。中でも、奥州第一の武将と恐れられた伊達政宗(1567〜1636年)は、卓越した記憶力の持ち主でした。

『名将言行録』(※1)という書物には、「生まれつき物覚えがよく、他の藩の家臣や商人であっても、いちど会っただけで、姓名はもちろん、風貌まで忘れなかった」という記述が残っています。
このような抜群の記憶力や頭脳力を養っていたのが、「大豆の力」なのかもしれません。政宗は生涯を通じて、大豆を用いた食品、料理、調味料を常用しているのです。
慶長六年(1601年)、政宗が仙台の青葉城を築いたとき、城内の一角に「御塩噌倉(おえんそぐら)」と称する日本最初の大規模な味噌製造工場を造りました。
これが「仙台味噌」の発祥と伝えられています。
仙台味噌は、美しい赤褐色の光沢があるのが特徴で、今でも赤味噌を称して仙台味噌と呼ぶ場合が多いです。

天下取り大名たちの好み

政宗の食事観は、倹約の名手といってもおかしくない麦めしオンリーの徳川家康に極めて似ています。
普段から食事にこだわり、「朝夕の食事うまからずとも、ほめて食うべし」と、よく言っていたと伝えられています。
政宗の好物は、豆を炊きこんだ豆めしだったようで、ある合戦の時に、家臣に「一日も早く天下を太平にして、豆めし、鰯の塩焼き、それに芋の子汁を食べたいものだ」と語ったそうです。
芋の子汁は、里芋と大根の入った味噌汁で、戦いの続く乱世には、塩鰯と共にご馳走でした。
政宗は、豆腐や凍り豆腐も好んでいますが、豆めし、仙台味噌、凍り豆腐と、すべて大豆を使用したもの。お正月料理の中には納豆もあり、やはり大豆加工食品です。
大豆には質の良いたんぱく質と脂質を含んでいるところから「畑の肉」と呼ばれ、更にビタミンやミネラル、イソフラボンなどの機能性成分も含んでいます。肉や魚に負けない栄養豊富な食品なのです。
政宗の驚異的な記憶力をサポートしていたのは、大豆に豊富に含まれているレシチンの可能性が高い。レシチンは体内で分解されてコリンとなり、神経伝達物質のアセチルコリンの原料となるのです。現代でもレシチンは、脳の老化による記憶力などの機能低下を予防する上でも期待されています。豊臣秀吉や徳川家康など同時代の天下取り大名たちも、政宗と同じように大豆を原料とする味噌を常食していました。レシチンの多い大豆製品は、仕事、長寿のためのサクセスフードなのです。

  • ※1『名将言行録(めいしょうげんこうろく)』......幕末の館林藩士・岡谷繁実が1854年(安政元年)から1869年(明治2年)までの15年の歳月をかけて完成させた人物列伝。

執筆者紹介

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食文化史研究家 永山 久夫
文化研究所、綜合長寿食研究所所長。西武文理大学講師。古代から明治時代までの食事復元研究の第一人者。長寿食や健脳食の研究者でもあり、長寿村の食生活を長年にわたり調査している。新聞の連載などの執筆活動他、テレビ・ラジオ出演、講演等で、古代食や長寿食、情報化時代の頭脳食のテーマを解りやすく解説し人気。著書『武将メシ』(宝島社)、『大江戸食べもの歳時記』 (新潮文庫)など多数。
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